更生保護施設の概況

institution

犯罪や非行をして刑事施設(刑務所)や少年院に入った人も、いずれ社会に戻ってきます。
しかし、中には、頼ることができる親族などがいなかったり、帰る場所がなく、再び過ちを繰り返してしまう人もいます。
このような人たちを一時的に保護し、その再出発を支える施設が「更生保護施設」です。

最近では、高齢や障がい、依存など様々な生きづらさを抱え、早期の社会的自立が難しい人が増えてきました。
そのため、生活全般にわたる指導や援助をよりきめ細かく行うほか、就労に向けての伴走型支援、酒害・薬害教育、SST(社会生活スキルトレーニング)、依存からの回復プログラムなど個々の特性や問題性に応じた様々な支援方法を導入したり、社会福祉士・臨床心理士などの専門スタッフを採用するなどして、処遇の専門施設としての実績を上げてきています。
また、高齢・障がい者の積極的受け入れ、薬物処遇の重点実施、訪問支援事業のそれぞれの実施施設として指定された更生保護施設が増えています。

現在、全国に102の更生保護施設があり、すべて民間団体(更生保護法人。一部に社会福祉法人、NPO法人、一般社団法人がある)によって運営されています。
その多くは、成人男性を保護の対象としていますが、女性や少年だけを保護の対象にしている施設もあります。

更生保護施設の施設数と分布状況

更生保護施設の施設数と分布状況

更生保護施設の収容定員

 更生保護施設の収容定員

(令和7年1月1日現在)

Column

静岡県出獄人会社
静岡県出獄人会社
金原明善翁
金原明善翁

 “吾作は身を投げた”

 明治時代、静岡監獄(今の刑務所)に、あらゆる罪を重ねた吾作(仮名)という囚人がいた。多くの看守たちが手を焼く問題受刑者だったが、当時の副典獄(副所長)であった川村矯一郎の熱心な訓戒指導により反省悔悟を深め、出所時には真人間になることを誓って獄を去った。

 しかし、10年ぶりに我が家に帰り着いてみると、父母は亡くなり、かつての妻は別の男の妻となって、見知らぬ子ども等と仲睦まじく暮らしていた。家に入ることもためらわれ、やむなく親戚を頼ってみたが、「お前のような者を泊めるわけにはいかない」と追い返され、ついには宿無し文無しの身になってしまった。昔の吾作であれば、すぐに悪事に走ったはずだが、川村副典獄の訓戒と「二度と悪事をしない」という約束を守って、遂に川村に宛てた書き置きを残して、村外れの池に身投げして自らの命を断ってしまった。

 この報せを聞いた川村は、地元の実業家「金原明善」に事の子細を語ったところ、明善は、「川村さんの訓戒も人を殺すに至っては功徳とはいえない。改心して監獄を出た者を社会の中で保護する方法を考えなくてはいけない」と提案をし、地域の協力者を募って明治21年に監獄から釈放された人を保護する「静岡県出獄人保護会社」を設立しました。

 これが『更生保護施設』の始まりです。

全国更生保護法人連盟
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